あゆみ
スポーツ協会のあゆみ
昭和32年4月 | 前年に印旛郡市民体育大会が印西町で開催されたことを受けて印西町体育協会を設立。協会内に卓球、柔道、籠球、陸上競技、相撲、排球、野球、庭球、剣道の9専門部を置く初代会長に町教育委員会委員長の青柳清次郎 氏が就任。 |
11月 | 第1回印西町民運動会が大森小学校を会場に小学校対抗形式で開催 |
昭和33年4月 | 第2代会長 宝田 義夫氏が就任 |
昭和34年8月 | 第10回印膳郡市民体育大会総合優勝(初優勝) |
昭和35年4月 | 第3代会長 米元 正氏が就任 |
昭和37年8月 | 第13回印旛郡市民体育大会総合優勝 (2回目) |
昭和38年8月 | 第14回印旛郡市民体育大会総合優勝(2年連続 3回目) |
11月 | 社会体育普及振興の取り組みが認められ、千葉県教育委員会より「社会体育優良団体表彰」を受賞 |
昭和39年4月 | 第4代会長 蛯原 操氏が就任 |
9月 | 東京オリンピック大会の聖火リレーが印西町を通過 |
昭和40年10月 | 社会体育優良団体として「文部大臣表彰」を受賞 |
昭和41年4月 | 弓道専門部が加入 |
8月 | 第17回印旛郡市民体育大会総合優勝(3年ぶり4回目) |
昭和42年8月 | 第18回印旛郡市民体育大会総合優勝(2年連続5回目) |
11月 | 第1回印西町近隣中学校卓球大会を印膳高校体育館で開催 |
昭和43年10月 | メキシコオリンピック大会が開催され、バレーボール女子に船穂中出身の古川牧子選手が出場。ソビエトに敗れ、惜しくも銀メダルに終わる。 |
昭和44年8月 | 第20回印旛郡市民体育大会総合優勝 (2年ぶり6回目) |
昭和47年8月 | ミュンヘンオリンピック大会が開催され、前回大会に続きバレーボール女子に古川牧子選手が出場。センタ ープレイヤーとして活躍するもフルセットの末ソビエトに敗れ、今大会も銀メダルに終わる。 |
昭和48年9月 | 千葉(若潮)国体の矩火リレーが印西町を通過 |
11月 | 第1回ママさんバレーボールル大会を大森小学校体育館で開催 |
昭和50年1月 | 第1回正月マラソン大会を利根川河川敷で開催 |
昭和52年10月 | 第1回印西町少年野球大会を開催 |
昭和53年3月 | 印旛高校が第50回選抜高校野球大会に初出場(1回戦敗退) |
昭和56年3月 | 印旛高校が第53回選抜高校野球大会に出場し準優勝 |
昭和58年8月 | 印旛高校が第65回全国高校野球選手権大会に初出場(3回戦敗退) |
昭和59年4月 | ソフトボール、バドミントン、ゴルフの各専門部が加入 |
11月 | 第25回東日本実業団対抗駅伝競走大会が、内野小をスタート・ゴールとするニュ ータウン中央駅を中心とした周回コ ースで開催 |
昭和61年3月 | 高花公園にテニスコ ートと野球場がオー プン |
4月 | 空手道、硬式庭球部専門部が加入 |
9月 | オリベッティ・ツールド・ジャパンが、ニュータウン中央駅から西白井駅までの往復18キロのコ ースで開催 |
昭和63年4月 | 松山下公園テニスコ ートがオー プン |
平成1年3月 | 松山下公園多目的広場がオー プン |
平成2年4月 | ゲートボール専門部が加入 |
平成3年5月 | 第1回ラグビーまつりを利根川河川敷で開催(大東文化大vs同志社大) |
7月 | 第42回印旛郡市民大会を新装なった松山下公園競技場を主会場に開催 |
平成6年3 月 | 印西町スポーツ少年団(本部)結成 |
4月 | 町体育協会規約を改正。専門部の設置を廃止し加入登録制とする第5代会長に椎名 健之氏が就任 |
8月 | 六軒相撲大会が再興され、大相撲の「舞の海」関が来訪 |
平成8年4月 | 印西町が印西市に市政施行 サッカ ー協会、グラウンドゴルフ協会が加盟 |
平成9年4月 | 松山下公園に野球場がオープン(両翼93m中堅118m) |
平成10年3月 | 第1回近隣中学校野球大会を松山下公園野球場で開催 |
4月 | 水泳協会、クレー射撃協会が加盟 |
平成11年2月 | 印西市卓球連盟が「千葉県教育委員会教育長顕彰」を受賞 |
3月 | 牧の原公園にテニスコートがオープン |
7月 | 第50回印旛郡市民大会記念大会を印西市で開催。17正式種目の他、記念オープン種目としてゲートボールとグラウンドゴルフを実施 |
10月 | 42年間続いた市(町)民運動会に替えて、第1回スポーツ・健康フェスタを松山下公園の全施設を使用して開催 |
平成12年7月 | 第51回印旛郡市民体育大会総合優勝(31年ぶり7回目) |
平成16年8月 | アテネオリンピック大会が開催され、印西中出身の澤野大地選手が棒高跳に出場 |
平成17年7月 | 第56回印膳郡市民体育大会総合優勝(5年ぶり8回目) |
平成18年3月 | ゴルフクラブが脱退 |
平成18年3月 | 印西市卓球連盟が「文部科学大臣表彰」を受賞 |
平成19年11月 | 印西市体育協会結成50周年記念式典を挙行 昭和59年から24年間開催してきた「東日本実業団駅伝競走大会」は交通事情により第48回大会が最後の開催となる |
平成20年4月 | 第6代会長に大野 勇氏が就任 |
6月 | 体育協会専用ホームページ立ち上げ |
8月 | 北京オリンピックが開催され、印西中出身の澤野大地選手が棒高跳に2大会連続出場 |
9月 | 関東大学女子駅伝対校選手権大会を東京電機大学スタート、高花郵便局前ゴールとする千葉ニュ ータウン周回コ ースで開催 |
平成22年 3 月 | 印旛村・本埜村との合併に伴い3市村の体育協会が合併調印 |
4月 | 松山下公園総合体育館オープン |
10月 | 第61回印旛郡市民体育大会総合優勝(5年ぶり9回目) ゆめ半島千葉国体山岳競技を松山下公園総合体育館で開催。千葉県が男女総合優勝 |
平成23年 6 月 | 第7代会長に菊地謙治氏が就任 |
平成24年1月 | ペタンク協会が加盟 |
8月 | 広報誌「体協印西」を「スポーツいんざい」(カラー8頁版)と改称し町内会回覧開始 |
10月 | リードワールドカップINZAI大会を松山下公園総合体育館で開催 |
12月 | 第82回印旛郡市駅伝競走大会優勝(7年ぶり7回目) |
平成26年 8 月 | 「全国高等学校総合体育大会空手道競技」を松山下公園総合体育館で開催 |
10月 | リードワールドカップINZAI大会を松山下公園総合体育館で開催 |
12月 | 第84回印施郡市駅伝競走大会優勝 (2年ぶり 8 回目) |
平成27年12月 | 第85回印旛郡市駅伝競走大会優勝(2年連続9回目) |
平成28年8月 | リオオリンピック大会が開催され、澤野大地選手が棒高跳びで7位入賞 |
平成29年2月 | 市制20周年記念事業「スマイルマラソン」を開催(参加者5,500人) |
平成30年 1 月 | 体育協会設立60周年記念誌刊行 |
平成30年12月 | 第88回印旛郡市駅伝競走大会優勝(10回目) |
平成31年 4 月 | スポーツ協会に名称変更 |
令和元年10月 | リードワールドカップINZAI大会を松山下公園総合体育館で開催 |
12月 | 第89回印旛郡市駅伝競走大会優勝(11回目) |
令和2年 3 月 | 相撲部が脱退 |
4 月 | 第8代会長に板橋 睦氏が就任 |
令和2年~3年 | コロナ禍により室内競技すべての市民大会を中止。 第71回・第72回印旛郡市民体育大会及び第90回・第91回印旛郡市駅伝競走大会を中止。 |
令和 4年 4 月 | クレー射撃連盟が脱退 |
令和 4年 4 月 | フェンシング協会が加入 |